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リポート 2011

東日本大震災 - 被災地訪問リポート (SU-JI)

3.11に発生した東日本大震災の被災地に、815スタッフと行って来ました。
災害時のラジオ放送の在り方を再認識するため、そして被災地の今の現実を知る為の訪問でした。

これから記述する内容は賛否両論存在するかも知れません。しかしメディアの一端として、そして1人でも多くの方に現状を伝えることを願い、我々に接してくれた被災した方々の想いを少しでも皆さんにお伝えできればとここにアップすることにします。

被災地から高松に戻り、これまでの間、文章を書けませんでした。どう表現すればいいか悩み、被災した方々に触れ客観的に東北地方を見ることがすぐにはできませんでした。
どの写真をここにアップすることが望ましいのか、どこまでお伝えしていいのか自問自答し、今に至りました。

これからの表現には、あくまでも僕が個人として感じた被災地に対する意見と客観的に事実のみを伝える表現を混在させます。興味がある方はこの先をお読み下さい。
実際の行動と共に写真・文章をアップしています。


被災地には新潟方面から会津若松・喜多方を通り向かいました。この辺りはさほど地震による直接被害は見てとれません、しかし交通網の被害、そして物流の麻痺による物資の不足はあるようでした。福島第一原発の避難指定区域からの近距離避難の方々がこの地域には多いとのことです。自家用車に身の回りのものやタオルケットなどを積み、車で生活されている方にもお会いしました。別の場所で避難生活を送っている方、避難所生活をされている方、そしてストレスの問題から避難所生活を拒む方もいることを知りました。

この日は震度4クラスの地震が発生。
阪神大震災を経験している僕にとってもやはり震度4は恐怖を伴う大きな地震です。「この程度の揺れにはもう慣れた」と話す方がいましたが、慣れたくて慣れたのではないという事が重要です。はかり知れない回数の揺れを経験してきたのです。

津波被害のあった地域で最初に訪れたのは宮城県東松島市(人口およそ43,000人、死者行方不明者併せ1,100人を超える被害)です。
沿岸部に向かう途中、未だ停電により点灯していない信号、いたる所が隆起し通行し難い道路、液状化現象により水が噴き出し未だ水が引いていない場所がたくさん存在しました。

最初に感じた感情はただ一つ恐怖でした。津波は頑丈なコンクリートの壁を突き破り、電信柱や鉄柱などはいとも簡単に転がっています。津波、波・水というイメージではなくとてつもなく硬い物体がとてつもないパワーとスピードで通り過ぎて行った、その表現が最も適していると思います。まずここで、自分の持っていた津波に対するイメージ(もちろん脅威は十分認識しているつもりでしたが)は全く覆りました。パワーと破壊力の次元が違いました。
散乱したぬいぐるみやおもちゃ、ランドセル、その他生活道具を見ると、ここでたくさんの方が生活し笑顔で暮らしていた光景が目に浮かび胸が一杯になりました。なぜだかは解りませんが、飛び回る大量のハエ1匹1匹がすごく恨めしく思いました。東南海地震など今後津波の危険性のある地方に暮らす方々全員に、行政や他人から与えられる情報だけでなく、自分の目で現場を見て、自分の頭で対策を考えてもらいたい、そう強く感じました。

撤去した瓦礫をまとめる集積場の写真です高さはおよそ4メートル。膨大な量の瓦礫がここに集まっていますが、被害地域のほとんどの瓦礫は未だ撤去されていないとのこと、右写真は住宅街に残された巨大船が未だそのままです。
日本という国の復興へのパワーとスピードは世界各国から称賛されていますが、正直今後どれだけの時間を費やすのか先が見えないのが現実です。

続いて向かったのは宮城県石巻市(人口およそ160,000人、死者行方不明者併せて4,000人以上の被害)から女川町(人口およそ9,900人、死者行方不明者併せて900人以上の被害)にかけてです。
今回どうしても見ておきたかった牡鹿半島もこの地域に含まれています。

三陸沖という世界有数の漁場に近いために漁業や養殖業で発展した水産都市の多いこの地域、漁業に適した地形と東北有数の大河川、北上川も今回の被害の甚大さに繋がりました。
震災直後、牡鹿半島は孤立し被害の全容がわかるのに大変時間を要した地域です。ここに向かう途中の写真を幾つか…

左は河川流域の住宅地、地盤沈下により水位と生活陸位が同じになっています、土のうを敷き詰めていますが、雨が降る度に今後も被害が懸念されます。
右は横倒れになった住宅の2階3階部分、屋根部分にある張り紙にはこの家の所有者を探す内容が書かれていました。どれだけの距離を流れてここにあるのか、如何なる理由が有るのか不明ですが、未だ所有者が見つからない状況です。自動車についても同じようなものがたくさんありました。津波で転がり原型をほぼ留めていません。

海岸線からは少し距離のある地域でも下記載の写真の通り1階部分に被害を受けています。阪神大震災のような地震のみの場合は全ての被害は等しくなかったのですが、津波は例外なく全てのものを押し流しています。



ここからは牡鹿半島に移動。この半島は山間の道を少し走り小さな街、再び走りまた小さな街といったように一箇所に大きな街があるのではなく小〜中規模の街が距離を少しづつあけ多数点在といった特徴です。
最初に山間の道を抜け到着した半島内ある街の様子です。

まず第一に感じたことは「何も無い」「とにかく全てが無い」という感想でした。
たくさんの家々が立ち並んでいたのでしょう、しかし右写真にあるように土台だけを残し全ての家が消えていました。かろうじて原型が残るように見える家々も近づくと実は下左写真のような有様でした。

駐在所も写真の通り、海中に沈んだ道路(およそ120cm地盤沈下しているそうです)、寸断された道路。多数の重機が活動するには困難な状況です。


とにかく静かです、長時間いましたが現地の方・救援復興活動の方、この日は誰一人姿を見ませんでした。
異常発生し大量に飛び回る無数のハエ、(普段はどれだけたくさんの音に囲まれた生活をしていたのかと初めて気づきましたが)音の何もない何も聞こえない異様な静寂、打ち上げられた魚の死骸、何とも表現し難い独特のにおい、そして尊い人命が失われたという痕跡、この後訪れたどの被災地においても同じですが、この5つが常に等しく存在しました。

地域毎の差はあるかもしれませんが、他の地域に生活する我々が思っているほど復興はスタートしていません。

ボクシングで例えるなら、ダウンした選手にセコンドから声をあげているように、震災という強烈な打撃を受け倒れた人々に、さあ立て、前に進めと急かし続けているのではないかという懸念さえ頭に浮かびます。

個人差・地域差はあるかもしれませんが、皆さんがよく目にする(メディアによく取り上げられる)地域は被災地の中でも最高レベルに瓦礫撤去などの復興が進んでいる地域が多いように思われます。自分自身もそのことに気づきました。
しかし、まだまだ多数の被災地では受けた衝撃を頭で理解することがようやく出来たばかりだという方が多数存在します。
大切なのはここに暮らす人々が自分の意思で自分のペースで起き上がることをそっとサポートすること。
そして彼らが前に進もうとする時にはいつでも迅速にバックアップ出来る用意を長期的にすることだと思います。これが現段階、そして率直な感想です。


海岸線沿いに北上し南三陸町(人口およそ17,000人、死者行方不明者併せて900人以上の被害)、気仙沼市(人口およそ73,000人、死者行方不明者併せて1,400人以上の被害)、陸前高田市(人口およそ23,000人、死者行方不明者併せて2,000名以上)、大船渡市(人口およそ40,000人、死者行方不明者併せて400人以上)などを訪れました。

全てが被害を受け「何も無い」広大な土地、右写真では3階建のビルの3階まで津波に飲み込まれていることがわかります。

瓦礫撤去の進み具合はこの2枚の写真でもわかるように地域差がかなりあります。
現在瓦礫撤去の進み具合は平均して数割程度とされていますが、全く手つかずの場所もそこかしこで見ることとなりました。復興への1番目のステップ、まずは瓦礫撤去。しかしこれが完了するまでもまだまだ長い道のりです。現在は夏真っ盛りですが、雪の降る冬までには撤去が完了するのだろうか…。
現実的な予想ではありません。

右写真の場所もそうでしたが、瓦礫の山の中、ガソリンスタンドが幾つも営業しています。スタンドといっても建物は何もありません、瓦礫の山を縫うように走ることのできる道路沿い、辺りの瓦礫から以前からここで営業していたとわかるスタンド跡地で手旗を立てガソリン販売をしています。
生活・そして復興にも最も重要な物資であるガソリンを何としても販売するのだと強い気持ちで営業している方々を心より尊敬します。

震災直後ではなく5ケ月経過した現在の状況です。

左:ビルの上を津波が通り抜けています。
右:一番下にはぶらんこがあります、津波の高さを想像して下さい。

陸前高田では災害ボランティアにも参加してきました。
おそらく皆さんの中には、何かしらボランティアをしたいという気持ちはあるけれども実際はどのようにすればいいのか解らない、現地に行ってもかえって迷惑になるのではないかという心配をしている方もたくさんいるでしょう。

しかし現地ではまだまだ人の力が多分に必要です。
夏休みに旅行を考えている方なら是非旅行先を東北にしてほんの数時間でもいいと思います。無理のない範囲でお手伝いにいっていただきたいと思います。
ボランティアは瓦礫撤去のような力仕事以外にも、様々な種類のニーズがあります。
旅行に行き、現地で例えばお土産物を買ったり、おいしい物を食べたり、それだけでも復興の助けになりますし、そして少しの時間をボランティアに割いていただければそれは素晴らしいことだと思います。

繰り返しになりますが、まだまだ人手が必要です。
現地では香川県からボランティアに来た「うどん」店の話、大学生の話も耳にしました。
どれも現地の方に大変感謝されていて、温かい気持ちになりました。
現地では下記写真のような光景も多数目にします。

直接面識はない人どうしがお互い声を掛け合うこの光景、高速道路の電光掲示板にも「ありがとう」のメッセージ、災害復興の方が夕方に帰路につく道沿いで「ありがとう」の手書きメッセージを掲げる子供たち、

上手く言葉にできませんが、
想像以上の厳しい環境にいても他人に感謝する気持ちを持つ被災地の皆さんをたいへん尊敬します。
被災地を回り、その惨状に落ち込みがちだった自分が、パワーと強さを逆にいただきました。

道中、もう一度自分にとって一番印象深かった牡鹿半島周辺をまわりました。

女川町中心部でかなりの高台からの撮影です。小さな建物は全て破壊され大きな建物が写真のように残っていますが、建物の一番上まで津波が達しています。右写真は建物ごと津波で横倒しになっています。この近辺には他にも建物ごと倒れたビルが複数ありました、今後の建築の在り方にも影響があると思われます。

自分がもしここにいたならば、どう避難すべきだろうか…。この場所で、この高さの津波、正解はわかりませんでした。

陸前高田では庁舎より最後まで避難を呼びかける放送を続けた女性がいます。
海際では消防団の方がスピーカーから避難を呼びかけ続けました。

こうした全ての現実を今後に活かすこと、それが僕たちの責任だと思います。

最近メディアでの露出もかなり減ってきました。もちろん前を向き歩き出すことは重要です。

でも復興にはまだまだ途方もない時間が必要で、そこから次の災害に備えることも途方もない時間を要します。

こうした災害の危険性はどこにでも存在することを認識し、3.11を忘れないこと、自分にできる範囲で被災地を援助し続けること。

それを皆さんにお願い致します。


亡くなられた方のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
そして被災地の皆さんの生活が、一日も早く回復することを心より願っております。

他方、我々はラジオ放送に携わるものとしていくつかの被災地の放送局にも伺いました。

震災時にどのように放送を続けたか、有事には何をすべきか、何が皆さんにとって一番必要な情報で、それを如何にお伝えするか、全てにおいてこれまで以上の準備をしようと決意しました。

ここで学んだ事を軸にして、災害時に必ず皆さんのお力になれる放送局であり続けること、これが我々の責任です。